猫のポンタ
この付近で住んでいる猫がいる。どこかの家の飼い猫か、それとも野良猫なのかは分からない。首輪はつけているが、かなり古いもののようだ。
メス猫だと思う。でも、私がつけた名前は、ポンタ。なんとなく狸に似ている気がしてそう呼んでいる。もとはどこかの飼い猫だったが今は野良猫で、可愛がってくれる家がいくつかあり、だから丸っとした体形なんじゃないかと想像している。
隣のお宅の玄関で座っていたり、別のお宅の塀の上で寛いだり屋根の上を悠々と歩いたりしている。
ポンタは、1年位前からうちの庭の平たい石の上でよく寝そべっていたが、ある時、かつお節をあげた。すると、ほとんど毎日朝夕にあいさつにくるようになった。お腹がすいているというわけではなく、ただ甘えてきているだけのような時もある。そういう時は、なでなですると、目を細め気持ちよさそうにグルルと泣いてめちゃくちゃかわいい。
仕事に出勤していく時にやってきたときには、「ポンタ」と呼ぶと「ミャ」とあいさつしてくれる。かわいい!
先日の休日のこと。朝から玄関にポンタがやってきたので、私は地べたに座り込んでポンタを撫でていた。すると、ポンタは私の横に寝そべり、私の足の上にポンと前足を乗せ寛いでくれた。たまらなくかわいい!
ポンタと触れ合うと、とても癒される。
子どものころ、死んだらどうなるんだろうと考えて
子どものころ、死んだらどうなるんだろうと考えて、考え始めるとどんどん恐怖に覆われてしまって泣いてしまうことがあった。そして、いろいろな人の闘病記をよく読んで、ますます怖くなった。高校生の頃になると死生観について書いた本をよく読んだ。
私の友人の中にも、何人か若くして亡くなった人がいる。中には、闘病についてや病気のことをブログに残した友人もいる。友人が、強く闘って亡くなって、その時私は思った。誰でも死ななくてはいけない。私だっていつか死ぬ。〇〇ちゃんはあんなに立派に死を迎えた。みんな、乗り越えなくてはいけないものなんだ。ありがとう、強い姿を見せてくれて。
よく生き、よく死ぬ。
そんなことをいつも考えているわけではないけれど、、、。
古傷
先月、ちょっとした旅行に出かけた。私たちが付き合い始めの頃に1泊旅行で訪れた場所だ。見覚えのある建物や看板もあった。少し雰囲気が変わったように感じるところもあった。20年という月日を感じた。
今まで、山も谷もあったけれど、ほとんどはなんのへんてつもない平凡な日々の積み重ね。2回くらいはもうだめだと思ったことがある。それでも、その上に新しい日々を塗り重ねていくことでうまく乗り越えられた。
そう、私たちにも、確かにどうしても消せない古傷がある。
でももう、私はそのことを口に出さないと決めている。そのことを今回思い出の場所に訪れて、あらためて思った。
焼き肉
なんのご褒美かっていうとはっきりしないけれど、焼き肉を食べてきた。私は、結婚前はそれほど焼き肉は好きではなかったのだが、今では肉好きの主人につられるようにして、焼き肉が大好きになってしまった。